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地雷被害者の生活
はじめに...
 ここに掲載している人たちは、私たちが会うことが出来た人たちだけです。それは、外国人が行くことが出来る場所で生活している地雷被害者の人に限定されている、ということを意味しています。
 カンボジアで、今も多くの地雷が埋まっている場所は私たちが行けないような場所です。そのような人たちがどのような生活をしているか分かりません。
 そして、地雷被害者もひとりひとり生きていく環境が違います。「地雷被害者」とひとくくりにすることは出来ません。このページを見ることで、被害者の人の生活に対して固定観念を持たないようにして下さい。また地雷被害者の人たちの話は出来るだけそのままの言葉で載せました。
プンパンさん(パイリン出身・50歳)
ブンパンさん 家族構成:
妻と子ども2人の4人で暮らしています。

被害に遭ったときの状況:
被害に遇ったのは、1991年で35歳の時。私がポル・ポト軍の兵士として、畑仕事をしている時でした。そこに地雷があるのは知っていましたが、生きていくためには畑を耕すほかなかったのです。

被害後から今に至る経緯:
被害に遇った後は、幸いなことにすぐ病院に入院することができました。1ヶ月半の入院生活を経て、その後2年間軍隊にいました。現在は農業で、2人の子どもと妻を養っています。義足はバッタンバン(家から車で4時間の町)で作ったものです。

政府からの保証はありますか:
政府からは月25ドル受け取っています。
サルーンさん(バンアテイ・ミエンチェイ州メンクーボーライ郡出身・47歳)
サルーンさん 家族構成:
子ども7人の大家族です。

被害に遭ったときの状況:
被害にあったのは1981年、私が22歳の時です。戦時中、パトロールをしているときに地雷を踏みました。地雷があることは全く知らされていませんでした。

被害後から今に至る経緯:
被害に遇ってから1ヶ月半後に病院に入院しました。その後1ヶ月半かかって治療し、退院後はすぐに畑仕事をはじめました。義足は持っていますが、あまり合わないので使っていません。

地雷被害者であることでどんな影響がありますか:
数えだしたらキリがありません。全てです。

政府から保証はありますか:
まったくありません。

将来は何をしたいですか:
畑仕事以外をやりたいと考えています。

子どもたちには将来どのようになってほしいですか:
たくさん勉強してほしいです。

日本の人々へ:
カンボジアを助けてください。
モルパーさん(コンポンチュナンン出身・47歳)
モルパーさん 家族構成:
妻と子ども3人の計5人家族です。

被害に遭ったときの状況と現在:
以前は商店を営んでいました。被害に遭ったのは30歳の時。火を燃やすための薪を拾いなが ら歩いているときに地雷を踏んでしまったのです。今は畑仕事をして暮らしています。
トゥーチ・サルーンさん(バッタンバン出身・42歳)
トゥーチ・サルーンさん 家族構成:
夫と子どもが2人います。

現在の職業:
NGOエマージェンシーホスピタルで洗濯係をしています。

被害に遭ったときの状況:
1985年に自分の田んぼで稲刈り中に被害にあいました。右足を吹き飛ばされました。

地雷があることを知っていましたか:
知りませんでした。

被害後から今に至るまでの経緯:
治療とリハビリの後、1988年からエマージェンシーホスピタルで働いています。

義足について聞かせてください:
被害にあった3ヶ月後、バッタンバンにあるNGOで義足を作りました。最初は違和感があったけど、使っていると慣れてきて、今は特に問題ありません。今、着けている義足は2年前に無料で作ってもらったものです。

政府からの保証はありますか:
ありません。

――ここで彼女は突然涙を流し始めた。たった5分足らずのインタビューにも関わらず20年以上も前の恐怖や悲しみを思い出してしまったのだという。

地雷被害者であることでどんな影響がありますか:
義足があるので、足のある人とあまり変わりなく生活できます。

日本の人々へ伝えたいこと:
貧しい人たちを支援してほしいです。
ドン・サロンさん(バッタンバン出身・40歳)
ドン・サロンさん 家族構成:
独身ですが姉と同居しています。

職業:
農業をしていましたが、今は入院中です。

被害に遭ったときの状況:

2週間前に被害に遭いました。家から4キロほど離れたところにある畑と林でいつも通り農作業をしていました。
主に、野菜や果物を作ったり、採ったりしています。被害にあった日は、知り合いと2人で作業していました。いつも作業している場所から少し離れた林で、野生の果物を採っていた時に地雷を踏んでしまいました。その後、一緒に作業していた人と近所の人が私を助けてくれて、すぐに車で病院に運んでくれました。

地雷があることは知っていましたか:

知りませんでした。その林には、前にも入ったことあったので、地雷が埋まっているとは思いませんでした。

被害に遭った時に何を思いましたか:

地雷を踏んだ時は、とにかく痛くて痛くて、他になにも考えられませんでした。病院に運ばれて2週間経ちますが、今でも痛いです。

今の気持ちは:
とにかくまだ痛いです。いつ退院できるかもわからないので不安です。

この病院を退院した後どうしますか:
できれば、早く退院してまたあの畑で働きたいです。しかし、また地雷を踏むかもしれないと思うと怖いです。政府からの保証は何もないため、生活面での不安もあります。

――彼の足は、甲から先が吹き飛ばされた。真っ赤な血が流れ出した薬品液に浸している足はとても生々しく痛々しい。彼は、痛い足を一生懸命持ち上げ私たちに見せてくれた。足の甲から先が無い状態というのは、治療がとても難しく、傷口が完全に塞がったとしても、足の甲への義足は適合しにくいため作りづらいのだという。
クイム・マウさん(プレイベン出身・56歳)
クイム・マウさん 家族構成:
妻と、11歳から27歳までの4男2女がいます。

今の職業:
市場で本を売って暮らしています。

地雷を踏んだのはいつですか:
元々は農業をしていましたが、20代の頃に軍に入りました。その頃、すでに結婚して子どももいました。地雷を踏んだのは政府軍の兵士だった時ですが、何年前かははっきり憶えていません。

被害にあったときの状況は:
パイリン(タイ国境沿いの町)でクメール・ルージュから逃げる時に地雷を踏みました。その後、パイリンとプノンペンの病院に合わせて約1年、入院しました。

義足はどこで手に入れましたか:
義足はカンボジアトラスト(義足支援のNGO)で無料で作ってもらいました。今も義足の手入れのため、カンボジアトラストに通っています。

子ども達は何をしていますか:
長男(27歳)は建築現場での手伝いをしています。他のこどもたちも洗車場、縫製工場などで働いています。11才の末娘は家で母親の手伝いをしてます。

子どもたちは学校には通ってないのですか:
以前はみんな学校に通っていましたが、今は全員退学して働いています。お金がなくなったので、子ども達にも働いてもらわなけらばならなくなったのです。
ソクッ・ポールさん(カンポート出身、43歳)
ソクッ・ポールさん 家族構成:
妻と娘が1人です。子どもは親戚に預けているため田舎にいます。今住んでいる家は借家で、仮住まいなんです。

今の職業:
元軍人ですが今は市場で絵はがきと本を売って暮らしています。

――彼は右足の膝から下が吹き飛ばされた。義足はつけておらず、ズボンの膝部分をゴムでまとめて縛っている。また、左足のくるぶしにも地雷の破片が残ったままとなっており、被害から20年が経つ現在も白い糸状の膿が溜まるという。

被害に遇った時の状況:
1987年の私が24歳の時です。私は、政府軍の軍隊に所属してタイ国境での戦闘に参加していました。地雷が、そこに埋まっていることは知りませんでした。戦争で負けて、逃げているときに地雷を踏んだのです。地雷を踏んだときのことは、とてもショックであまり覚えていません。

地雷を踏んでから今に至る経緯:
まず、地雷を踏んですぐに、仲間が衛生班や軍医の所に運んでくれました。そして、軍の医療施設で1ヶ月間入院しました。その後、飛行機でバッタンバンの病院に運ばれ2ヶ月間入院、さらにプノンペンで3ヶ月間入院しました。

入院中はどんなことを思いましたか:
とにかく最初は、私は死体と同じだと思いました。というのも、体から悪臭が漂い、皮膚が黒ずんできて、体を動かすこともできませんでした。当時は、爆発のショックで目も見えず、とても不安でした。

義足は持っていますか:
義足は持っていません。2つの杖のみで歩きます。

病院を退院後から、現在までどのような生活を送ってきましたか:
退院後はしばらく軍にいましたが、体が不自由である為退役しました。お金も食べるものもなく、どうにもならなかった。しかたがない、と割り切って物乞いを始めました。しかし、物乞いしている時はとても恥ずかしかったです。現在の仕事をするまで、かなり長い間物乞いをしていました。
2000年からは、絵はがきを入れたカゴを首からさげ、市場で観光客相手に売っています。店を持っていないので、歩きまわって売らなければならず、とても疲れます。しかも、市場の管理者が厳しく取り締まっていて、決まった時間に、決まった範囲(約4平方メートル)でしか販売することができません。

地雷被害者であることで職業や生活にどのような影響がありますか:
生活に困っています。生きていくためのお金が必要ですが、政府や軍からの生活保障は何もありません。娘が1人いますが、生活が苦しいため娘は田舎の親戚に預け、離ればなれで暮らしています。
この市場で仕事を初めた時は、蹴られたり追い出されたり、身体的ないじめがありました。物が売れなければ、生活ができないので大変です。本当なら、市場内に店を持ちたいですが、店舗を手に入れるにもお金がかかります。

――市場内は小さな店舗がひしめき合っていて、新しい店舗が入る余地は見受けられない。しかも「店舗」といっても2平方メートル程度のテントだ。それでも彼は店舗を持って、ちゃんと商売がしたいと言う。「手元にある物が売れれば幸せなんだ」と語る。

将来は、何をしたですか:
本当は、ものを売ったり、物乞いのような生活ではなく、他の仕事がやりたいけど、知識がないから難しいです。子どもには、知識をつけさせたいです。本当は子供と一緒に住みたいのですが、生活が苦しくそれも叶いません。

子供には将来どのようになって欲しいですか:
子供は親戚の家に子供を預けているので、子供に対しても親戚に対しても心苦しいです。自分が生きることで精一杯なので、これ以上養うことができずに、つらい選択です。子供に会いたい。 娘には自分の将来は、自分で決めれるようになってほしいです。自由に、やりたいように生きて欲しいです。
こうやって、思い出すだけで、とても会いたくなります。一緒に住みたいです。
※このインタビューは2006年4月にカンボジアを訪れた際に行いました。
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