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はじめに...
ここに掲載している人たちは、私たちが会うことが出来た人たちだけです。それは、外国人が行くことが出来る場所で生活している地雷被害者の人に限定されている、ということを意味しています。
カンボジアで、今も多くの地雷が埋まっている場所は私たちが行けないような場所です。そのような人たちがどのような生活をしているか分かりません。
そして、地雷被害者の人もそれぞれ生きていく環境が違います。「地雷被害者」とひとくくりにすることは出来ません。このページを見ることで、被害者の人の生活に対して固定観念を持たない
ようにして下さい。地雷被害者の人たちの話は出来るだけそのままの言葉で載せました。 |
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年齢:32才
家族:妻(地雷被害後の87年に結婚)子供5人
職業:元軍人、現在は農業に従事している
被害に遭ったときの状況:
85年に国境付近で戦闘地域から帰還する途中に地雷を踏み、その時には意識をなくしました。
今に至るまでの経緯:
最初はベトナムの病院に行き、その後、シェムリアップの病院で切断手術を受けました。そして、ケガを完治させるためにプノンペンの病院へと転院。完治後はシェムリアップに戻り、被害者が集まる施設に収容されました。
義足について:
義足はありますが、身体に合わないのでずっと付けていません。 歩行訓練も受けましたが平地のトレーニングだけだったので、畑仕事にはちょっと…。
現在の生活:
2haの土地を持っていたので故郷に戻り農業を始めました。しかし、食べていく分の収穫も得られず、生活は非常に苦しいです。
地雷を踏んだときの気持ちは?:
自分の人生も終わったなと思いました。
今の気持ちは?:
家族もいるし…このまま生きて行くしかないでしょう。
地雷があることを知っていましたか?:
地雷があり、危険な地域だということは知っていましたが、兵隊だったため、命令に従うしかありませんでした。。
(奥さんへ)夫が足を失ってしまったことをどう思いますか?:
足が無くても、これは運命だから…。 |
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年齢:16才
家族:両親、7人兄弟(4番目)
政府からの補償:無し
被害に遭ったときの状況:
5才の時に母親とバッタンボン県で農作業をしていた田んぼで被害にあいました。そこに地雷があることは知りません。被害に遭う前、地雷に関する知識を持っていなかったんです。
義足について:
10才ぐらいの時に一度作りましたが、合わなかったためまた改めて作りました。この義足は1週間前に出来たものです。
現在の生活:
プノンペンには勉強のために来ていて、伯母さんと暮らしています。両親と兄弟は今もバッタンボン県に住んでいます。 |
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歩行訓練の様子 |
踏んだときの気持ちは?:
病院に運ばれるまでは意識を失っていました。病院で意識が戻り、足を失ったことを知った瞬間、将来への希望を一気に失いました。
今の気持ちは?:
今は義足もあり、歩くことも出来るので、希望も持てるようになりました。
将来は何をしたいですか?:
まだ分かりません。
女性のため困ったことはありましたか?:
今まのところ、女性だから…ということはありません。
被害にあったことで友達の態度は変わりましたか?:
被害にあった後も友達との関係は変わりません。 |
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職業:元警察官、今は職業訓練を経て自分の店を持っている
家族:妻、両親、子供6人(子供たちは学校に行っている)長女は銀行で働いている
現在に至る経緯:
プノンペンには妻がひとりで出てきて商売を始めていました。その後、私は地雷被害に遭い、妻のいるプノンペンに出てきました。私は「難民を助ける会(AAR)」の職業訓練センターに入学し、99年2月に卒業。同年4月にテレビやラジオ、ビデオなどの修理をする、今の店を持ちました。土地は兄弟に借金をして買い、工具はAARからもらいました。
現在の生活:
お客は2〜3日にひとり来るか、来ないか…といったところです。10日間ひとりも来ないこともあるくらいです。現在は何とか生活していけますが、十分な収入とは言えません。
地雷被害者であることで店に影響がありますか?:
お客さんは私が地雷被害者だとは気付きません。近所でそのことを知っているのも、私が入院していた病院の関係者くらいです。自分から言わない限りは誰も気付きません。
将来もこの仕事で生計を立てていくのですか?:
この仕事を続けるつもりです。身体に障害をもっているから、座って出来るこの仕事を続けるしかないじゃないですか…。
自分の努力でお店を持てるようった今、被害に遭った時からの心境の変化は?:
自分のお店が持てたことは、非常に嬉しいです。 |
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年齢:41才
家族:夫(ソムさん45才元政府軍)・子供6人、80年に結婚(被害に遭う前)
政府からの補償:7万リエル/月
被害に遭ったときの状況:
夫が兵隊たったため、彼について戦闘地域におり、兵士の食事の世話などをしていました。そのときに被害に遭い、両足を失いました。
現在に至るまでの経緯:
被害後、すぐに助けが来て、近くの病院で足を切断し、その後この病院に運ばれてきました。夫は私の世話をするために軍隊を辞めました。
現在の生活:
軍人病院に入院中です。
地雷があることを知っていましたか?:
地雷があることは知っていました。地雷原で仕事をすることが怖かったのですが、取り除くことも出来ず…どうしようもなかったんです。
被害にあったときの気持ちは?:
午後の3時に地雷を踏み、同じ日の夜に両足を切断しました。もう生きていたくない、と思いました。
(夫へ質問)奥さんが被害にあったときの気持ちは?:
子どももたくさんいるため、今後の生活がどうなるのか、非常に心配でした。
今後どうしていくのですか?:
故郷のプレイブヒアに戻って農業をしたいです。だって、それが普通の暮らしじゃないですか。 |
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年齢:38才
家族:妻(スンヌーンさん35才、被害に遭う前に結婚)・子供6人
政府からの補償:負傷直後に250リエル(10〜20$相当)貰っただけ。現在は貰っていない。
被害に遭ったときの状況:
82年、ベトナム兵の命令でお米を運んでいる途中、水を飲みに行こうとして台車から離れた際、被害に遭いました。片足と、爆発の光のために両目の視力を失いました。地雷原であることは知っていましたが、どうしようもなかったんです。
現在の生活:
子どもの稼ぎと、農業で生計を立てています。長男はまだ14歳なのですが、学校に行くことは出来ず、自転車修理の仕事をしています。
被害にあったときに気持ちは?:
すごく悔しかったです。家族を養えない身体になってしまい、今でも悔しくてしかたがありません。
被害にあったときに感じた悔しさは無くなったか?:
子どもが小さかった頃はとても悔しかったですが、今は家族に支えられ、子どもも自分の代わりに仕事が出来るようになり、あのころのような気持ちはある程度落ち着いてきています。でも、やはり、家族を養えないことは悔しいです。
立ち直るきっかけはありましたか?:
生活は苦しいですが、家族に支えられながら何とか日々を過ごしています。
一日の生活は?:
朝・昼の時間は気温でだいたい分かりますから、朝起きて、仕事を始め、暑さで昼になったと分かると、休憩をし、また涼しくなったら妻や子どもと一緒に田んぼに行き、仕事をして家に帰ります。その繰り返しです。
将来やりたいことなどはありますか?:
例えば、鳥をたくさん飼ってそれを市場に売ったり、といった仕事をしたいです。また、自転車修理の技術も身につけたいと思っています。そのふたつが私の希望です。でも、この身体では出来ないだろうと思っていますが…。
自分が足を失ったことについて子供にはどのように伝えたのですか?:
隠してもしかたがありません。事実をそのまま伝えました。 |
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年齢:34才
家族:妻は亡くなった(被害に遭う前に結婚)・子供3人
職業:以前物乞いをしていた(子供は物乞いをしていることは知らなかった)
政府からの補償:無し
被害に遭ったときの状況:
村から0.5Kmほど離れた林の中でスパイ活動をしている最中、被害に遭いました 。
現在に至るまでの経緯:
地雷を踏んだのは朝の8時頃だったのですが、病院に運ばれた時には夜中になっていました。1年以上入院し、その間に義足を作ってもらいました。退院後は物乞いをして1日2000〜5000リエル稼いでいましたが、生活は苦しく、市場の近くで野宿をする毎日でした。妻がこの頃、病気になり入院したのですが、入院費用が足りなくなり、病院にいることが出来なくなったため自宅で息を引き取りました。その後、地雷被害者を支援しているNGOから職業訓練所を紹介してもらい、物乞いを辞める決心がつきました。
意識が戻ったときにどう思いましたか?:
自分に何が起きたのか分かりませんでした。将来のことなんて考えることもできず、死ぬことばかり考えていました。先のことを考える余裕はなかったんです。
家族の反応はどうでしたか?:
すごくショックを受けていました。
退院後、すぐに職業訓練所などには行かなかったのですか?:
職業訓練所があることはおろか、その名前すら知りませんでした。今年になって職業訓練所の紹介を受け、この村に入れてもらって生活をしています。
何故、物乞いをしようと思ったのですか?:
お金も食べるものもなく、どうにもならなかったため、しかたがない、と割り切って物乞いを始めました。地雷被害に遭っても、家族がいることは一つの支えでしたが、妻を失い、子どもも小さくてどうにもならなかったので、市場で物乞いをして子どもを育てていました。そのときも物乞いをするのは「一時的なこと」だと考えていたし、今はもぅ決して物乞いはやりたくないです。
物乞いをしているときの気持ちは?:
すごく恥ずかしかったです。でも、お金も食べ物もないし、子どももいるし…しかたがないと思ってやっていました。
今の気持ちは?:
物乞いをしていた時に比べるとはるかに楽です。
同じように足を失い、物乞いをしている人をどう思いますか?:
私は運良くNGOから職業訓練所を紹介してもらえたため、物乞いを辞めることができました。彼らが物乞いを続けているのは、NGOや訓練所の人たちに出会えていないからです。今後も出会う機会がなければ、彼らが物乞いを辞めることはありません。 |
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ICBLを代表してノーベル平和賞を受け取る |
兵士になった理由:
内戦中の1982年、兵士にならなければ食料が得られなかったため、仕方なく兵士となりました。
地雷被害に遭った直後:
被害に遭ってから3、4時間経って病院に運ばれ、両足を切断しました。死にたいと思いました。実際、3回自殺をはかりました。病院に3ヶ月入院し、退院後3ヶ月リハビリをしましたが、生きる希望は全くありませんでした。当時、私は結婚しており、2人の子どももいました。その子どもたちが私に「甘いものが欲しい」と言うのを聞いて、生きることを決意しました。
NGO「Jesuit Service」で働くまで:
1987〜1993年、難民キャンプから学校に通い、技術を身につけました。1993年に難民キャンプが閉じられ、将来への希望を抱いてカンボジアに戻ってきました。しかし、プノンペンで多くの未亡人や障害者が物乞いをする姿を見て、希望を失いました。そのとき、Jesuit
Serviceの神父に出会い、車椅子を作る仕事を与えられました。
世界に地雷廃絶を訴える:
1995年、世界の地雷廃絶キャンペーンに参加。1997年、ノーベル平和賞を受賞したICBL(地雷廃絶国際キャンペーン)のメンバーとして、世界各地で対人地雷の恐怖と廃絶を訴えてきました。授賞式では受賞者代表としてスピーチをおこない、現在も世界各国にオタワ条約の批准を訴えています。また、一方で、現在もJesuit
Serviceでの車椅子作りを続けています。
今すべきこと:
どうやったら貧しい人を助けることが出来るかを机上で考えるだけでなく、実際に一緒に働いて、彼らの反応を見ていくことが大切です。私は人々を助けることこそが私の勤めだと思っています。 |
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年齢:38才
職業:元軍人、現在はアンコールワットで物乞いをしている(子供は物乞いをしていることを知っている)
家族:妻(チエンムーイさん33才、被害に遭う前に結婚)・子供4人
政府からの補償:6万リエル/月
地雷被害に遭ったときの状況:
1984年、強制的に軍隊に入れられ、1990年、戦闘中に仲間を助けに行こうとして被害に遭いました。地雷原だということは知っていました。一緒にいた仲間の10人中、6人が地雷被害に遭いました。
現在に至る経緯:
地雷を踏んでから3時間後、病院に運ばれました。妻も戦闘地域におり、私が地雷を踏んだと知って戦地の最前線まで迎えに来てくれました。退院後、故郷に戻り農業を始めました。しかし、生活が苦しかったため、1年後に、年間72万リエルの恩給をもらう「権利」を15万リエルで売り、物乞いをするためにプノンペンに引っ越してきました。そしてまた1年とたたないうちに、翌年の「権利」を10万リエルで売り、プノンペンからシェムリアップへ引っ越しました。すでに、2年先までの「権利」を売ってしまいました。「権利」の買い手は、その恩給を渡す側の軍人です。
義足:
義足は持っていますが、傷を負った部分が腫れているため、つけられません。退院から2ヶ月後に義足を作ってもらい、歩行訓練もしましたが、今は役に立っていません。
現在の生活:
物乞いを始めて4年になります。「なわばり」があるわけではありませんが、警察に1日500リエル取られてしまいます。両親が働きに出ている間は4歳の子が2歳の子の面倒を見ています。上のふたりの子どもは、日中は近くのお寺で勉強をしています。夕方、帰ってきてからは弟たちの面倒を見ています。
今後の生活:
アンコールワットにいる物乞いの人たちを移住させ、農業に従事させようという政府の計画があります。そこに行けば土地がもらえ、お米も配給されるという話なので、そこに移住しようかと考えています。
地雷を踏んだときの気持ちは?:
意識を失う前に地雷を踏んだことは分かりました。意識が戻ったときには足を切断されており、それからは自殺することばかり考えていました。
移住する気はあるのですか?:
移住してもいいと思っています。しかし、この身体で家族を養えるのかが不安です。
物乞いをしていることをどう思いますか?:
何も思いません。生きていくためにはこうするしかないんです。何も考えずにやるしかありません。それでも、どこかの組織が助けてくれたら…とは思います。
子供には将来どうなって欲しいですか?:
自分は苦労してもかまいません。子どもにはちゃんとした教育を受けさせてあげたいと思います。ちゃんと教育を受けていれば、将来、職を見つけやすくなります。
将来への希望はありますか?:
地雷を踏んでからは「希望」なんて考えられません。でも、まだ死ぬわけにはいきません。生きていたいと思います。
死にたいとの思いから、生きたいと心境が変化したきっかけは何ですか?:
入院中は苦しくて、死んだ方がましだと思っていました。治療が終わった時、私のすぐそばには妻と子どもがおり、家族のためにもまだ生きていたい、家族の支えがあればまだ生きていける、と思いました。その後、義足を作ってもらい、少しだけ将来への希望が見えるようになりました。
カンボジアに生まれて良かったですか?:
何のために戦争ばかりしているのか、カンボジア人同士で殺し合って何になるのでしょうか。軍人として戦争に参加したことを今でも後悔しています。 |
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| ※このインタビューは1999年8月にカンボジアを訪れた際に行いました。 |
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