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| 兵役中、地雷によって足を失ったという「元兵士」。インターバンドのサポートを受け、現在はバイクの修理店を営んでいる。 |
内戦が続いたカンボジアでは現在、軍事費の増大が大きな問題となり、兵員の削減や武器の回収をおこなっている。そこでは、除隊後の兵士が健全な社会生活を営めるシステムを作ることも重要な課題となる。しかし、除隊兵士のおかれた状況は、ひとりひとり異なっており、中には銃撃や地雷によって肉体的なハンディキャップを背負っている人も多い。そういった除隊兵士のサポートをおこなっているのがNGO「インターバンド」だ。
インターバンドは、地域のNGOと連携して、社会復帰が困難な除隊兵士に対し、毎月、20ドル程度の資金を提供。そこから始められる有効な「ビジネス」のアドバイスをおこなっている。
たとえば、月々の資金を利用して鶏や豚などを購入し、飼育・販売する。生後2ヶ月の豚ならば20ドル程度だが、6ヶ月後には80ドルほどで販売できるという。現在は、家畜の飼育だけにとどまらず、自転車やバイクの修理店やを経営するなど、さまざまな広がりを見せている。
インターバンドではこの他、病気の治療薬の購入だけに使える「ローカルマネー」の提供や、元兵士の家族を対象とした職業訓練やワークショップの開催、生活再建のための研修会などの活動もおこなっている。 |
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| 殺された人々が投げ込まれた縦穴。写真中央の小屋のようなものの中に遺骨が納められている。 |
ポル・ポト時代に「粛清」の名の下に虐殺がおこなわれた場所。獣道をゆくこと約20分、縦穴がいくつもある場所に着いた。ここでは約2万人が虐殺されたと言われている。
縦穴の淵に立たせた人の首を切りつけ、そのまま穴に投げ落としたという。穴の中に降りてみると、小さな小屋のようなものがあり、衣服を着たままの遺骨が納められていた。また、感電死させるために使ったという電気コードもあった。
また、別の穴では子どもが生きたまま穴に放り投げられたという。ここで殺された子どもの遺骨を持って説明しているのは、ガイドを務める、やはり子どもたちだ。自分たちと同年代の子どもがここで殺されたことを、彼らはどう思っているのだろう。 |
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| 地雷除去作業のデモンストレーション。金属探知器で丹念に、地雷を探す。 |
1989年にイギリスで設立された、地雷除去をおこなうNGO「MAG(Mines Advisory Group)」。カンボジアだけでなく、アンゴラ、ラオス、コソボ、アフガニスタンなど、20ヶ国以上の地雷問題に取り組んでいる。
カンボジアのMAGでは、約400人のカンボジア人と約100人の外国人が活動している。地雷被害者や女性もディマイナー(地雷除去技術者)として、積極的に採用していることも大きな特長のひとつだ。
MAGのスタッフとともに地雷原へ。出発から車で3時間、あちこちに地雷原であることを示す、赤い「ドクロマーク」の看板が並ぶ竹藪に案内された。タイ国境に近いこの土地には、ポル・ポト軍がベトナム軍から逃げる際、追っ手を食い止めるために地雷を埋めたという。 |
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| この日見つかった地雷。導火線をつけ、爆破処理をする。 |
地雷や、地雷除去作業についての説明を受けた後、プロテクターと防弾メガネをつけて、地雷原へ。今日見つかったという地雷を見に行く。説明を受けた地点から1列になって100mほど歩いたところに地雷はあった。竹の根のそばに2つ、土から本体を半分ほどのぞかせていた。実物を見ても、これを踏むと爆発するという実感がわかない。
爆破処理は危険が大きいため、地雷から離れ、その「音」だけを聞いた。合図のホイッスルの後、振動が響き、大きな爆音がした。 |
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| 慰霊塔の中に安置されている遺骨 |
プノンペンから南西にバイクで約30分。ここでは、ポル・ポト時代にトゥールスレン刑務所に収容された人々が処刑され、埋められたという。
入り口を入るとすぐに慰霊塔があり、中には天井までびっしり、8985体もの遺骨が安置されている。ここで処刑され、埋められたものの一部を掘り出し、安置したものだ。
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| この屋根の下の穴にはたくさんの子どもの遺体が埋まっていた。小屋の奥に見える木の幹に子どもの頭を打ち付けて殺し、穴に投げ込んだと言われている。 |
処刑する際は、椰子の葉で首を切り、失血死させる。子どもの場合は足を持ち、気に打ち付けて殺した。子どもを打ち付けて殺したという木の横には台座があり、遺骨が無造作に置かれていた。
棟の奥には遺骨を掘り出した跡の「穴」が20以上、そのまま残されている。しかし、依然、数多くの遺体が埋まっているという。足下をよく見ると、地面から殺された人の衣服と見られる「布地」や遺骨が見えることもあるくらいだ。
ある穴では、166人分の頭の無い遺体が見つかった。これは、ポル・ポトの兵士たちが、頭部を畑の肥料に使ったためだという。 |
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