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1999年8月、カンボジアの地雷問題の現状や地雷被害者の暮らしなどを見る「カンボジアスタディーツアー」を実施。地雷除去活動をおこなうCMAC(Cambodia
Mine Action Center)による、地雷除去の現場や、現地小学校、被害者の義手・義足を作るNGO「カンボジアトラスト」などを見学しました。
スタディツアー参加者のひとり、平川惣一によるカンボジアスタディツアーレポートです! |
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| 8月18日 CMAC地雷認識教育 |
カンボジアの地雷被害は首都プノンペンから離れた農村地帯が中心だ。村人に地雷の危機や、見つけた場合の対処の仕方などを教えるための地雷認識をする部隊に同行した。
でこぼこ道を進むと、村の集会所(と言ってもただの空き地)に100人以上が集まっていた。CMACには12の地雷認識教育チームがあり、4人1組で各地を巡回している。模型や絵を使って子どもに分かりやすいように説明したり、ドラマ仕立てのビデオを見せるなど、CMAC版「地雷教室」は工夫をこらしていた。
教室の最後にはクイズ大会(?)があり、その日に習ったことを復習するクイズに答えるとTシャツなどのCMACグッズがもらえるとあって、大きな歓声があがっていた。このTシャツというのがまた凄くて、地雷を踏んだ瞬間のかなりリアルなカンボジア風の絵が描かれている。おみやげにと1枚ずつ貰ったのだが、まだ家の外で着た者はいない…。
牛がのんびりと草を食べ、子供たちが走り回る一見のどかな村だが、家の近くの草むらや田んぼの脇などあちこちに不発弾が落ちていて、立入禁止の赤い看板があった。鉄くずを売るとお金が貰えることから、不発弾を見つけて大喜びで持ち帰ろうとして事故にあうケースが多発しているという。僕の訪ねた家ではなんと不発弾を包丁とぎ代わりに家の中で使っていた。危ないっちゅうに!! |
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| 8月19日 地雷原 |
いよいよ“ホンモノ”の地雷源。プノンペンから車で3時間、コンポンチャム県チョンボマイ村に向かう。この地域は1972〜73年にロンノル政府軍による攻撃の不発弾が多いという。ここでは1隊29人の除去部隊3部隊が活動していた。除去後は県が20家族を再定住させる計画があるという。
「Danger Mines!!」の看板の前を牛を世話する子供が通っていく。すぐ横には畑を耕すおじさんの姿。地雷と隣りあわせの生活がそこにはあった。「オ〜ッ、○×☆△□!!」、除去作業員が声をあげて走っていく方向を見ると、列を外れた牛が地雷源に突進していくではないか。やばい。爆発すれば破片が飛んでくる。こっちまで身を縮めて様子をうかがう。しかし、牛たちはどんどん草やぶの奥に入っていき、姿を消した。 |
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見つけた地雷は爆破処理する。
100m以上離れた所で見学したが、地面を伝わる振動と音、土煙の迫力に圧倒された。これを人が踏んだら…。考えただけでもぞっとする。
地雷除去作業員は命がけだ。炎天下、見ているだけでくらくらしてくるというのに、集中力を持続させてどこにあるかも分からない地雷に立ち向かうのは並大抵のことではない。家族や親類・友人の地雷で失ったという人も多い。隊員たちの口からは、「はやく地雷のない祖国をつくりたい」「自分たちの国を再建しているという実感がある」と頼もしい声が聞こえる。さらにCMACは、内戦の終結で職を失った元兵士の再就職の受け皿にもなっている。国内各地で3000人の隊員が地雷廃絶に立ち向かっている。 |
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| 8月20日 CMACトレセン |
地雷探知犬の訓練を見学。小さな布に火薬の匂いを染み込ませたものをかがせて記憶させる。匂いが識別できるようになったら本物の地雷を使ってトレーニングするという。スウェーデンの軍犬訓練センターなどから派遣された外国人スタッフと共同で20匹の犬を育てている。犬は暑さに弱いので午前中の比較的涼しい時間帯に作業するという。ガンバレ、チキ太君!!(見学した犬はチキータバナナからとったこんな名前が付いていた。) |
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| 8月21日 ゴミの山の学校 |
カンボジアはここ数年、急速に都市化が進んでいる。それに伴って大量の“ゴミ”が出てきた。ゴミ処理のための施設がないため、プノンペンで集められたごみは郊外に捨てらている。そこには、職を求めて農村部から出てきた人たちが住み着き、ゴミの中から缶やビニールなどを探して売ることで生計を立てている。フィリピンのスモーキーマウンテンを思わせるようなまさしく「ゴミの山」の中で多くの子供たちが家計を助けるために働いているのだ。 |
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そんな子供たちに教育の機会をと、現在2つのNGOが学校を開いている。そのうち1つは、午前と午後の2部制で45人の子供が通っている。半屋外の(ようするに屋根だけの)小屋に小さな机と椅子、声をそろえて本をよんだり、当てられた子供が黒板に答えを書いたり…。識字・算数・道徳・衛生教育をしている。
12歳のリー・バンサンちゃんは一日に1500リエル(1US$=3900リエル)を稼ぐ。家族4人の夕食代ぐらいの額だろうか。
週に1回は子供がゴミを運ぶダンプカーにひかれたり、ゴミが崩れて死亡するなどの事故が起きているという。
資金不足に苦しむ学校の要望を聞いたスタディーツアー参加者の一人が戸棚とテーブルを寄贈した。日本からさらに継続して支援できる体制を作りたいと奮闘している。興味のある方、アイデア・協力していただける方はピースボートカンボジアチームまで。 |
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| 8月22日 パラリンピック陸上チーム |
97年に地雷被害者によって結成された。メンバーの中には地雷除去作業中に被害にあった人もいる。99年1月のバンコクでのアジア障害者大会では個人銀メダル、総合で銅メダルを獲得した実力者のそろったチームだ。
練習を見せてもらったが、義足とは思えないスムーズな走りにびっくりした。シドニーでのパラリンピック出場を目指して練習にも力が入っているという。
しかし、トレーニングのための資金が少なく困っているという。
カンボジアではポルポト時代の強制労働の影響か、皆で1つになって何かをするということがない。復興のシンボルとして国民が1つになってパラリンピックに出場する祖国のチームを応援するような形になれば国自体も盛り上がってくるのではと話していた。 |
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| 8月23日 カンボジアトラスト |
1989年に設立されたイギリスのNGOで、義手義足を地雷被害者に無料で提供している。プノンペンのカルメット病院内にあるセンターを訪ねた。ひとりひとりの体型に合わせてオーダーメードで作っていて、リハビリや修理・交換まで総合的なケアをしているという。手や足を切断後、2ヶ月くらいでして義肢を付ける事ができるそうで、義足の場合、付けたてから2週間くらいのトレーニングで歩けるようになるという。軍服姿の若い男性が目についた。ここに来る人の90%が男性で、その大半が軍人だというから納得だ。
カンボジアでは地雷被害に遭った人は前世で悪いことをしたという考え方があり、働き手にならないとして家族から見捨てられるケースもあるそうだ。女性は家にこもって外に出たがらないらしい。
一方で、町のあちこちに片足で杖をついた人、義足の人の姿を見かける。障害者が身近にいるのが当たり前、だから障害者への差別や偏見も少ない、一番バリアフリーな国なのかもしれないという話も現地在住の人はしていた。
カンボジアトラストには義手や義足を作る「義肢装具士」を養成する学校が併設されていて、カンボジア人自身が技術を身につけられるようにもなっている。30人の生徒が学んでいた。中には自分が地雷被害者という人もいる。 |
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| 8月24日 キエンクリエン職業訓練センター |
日本のNGO「難民を助ける会(AAR)」が運営している。障害者の自立のために技術を教える全寮制の学校で、バイク修理、テレビ・ラジオ修理、裁縫の3コースに別れている。学費は無料で、一年間学ぶ。
入学希望者が多く、毎回5倍程度の倍率で試験や面接で選ぶという。生徒は30人、ここで学べるというのは地雷被害者の中ではよほど運のいいケースといってもいいだろう。卒業生の7割くらいが自分で店を持っているという。卒業後のアフターケアまで幅広くしている。
※AARホームページ
→http://www.aarjapan.gr.jp |
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