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エリトリアはアフリカ大陸北東部、紅海に位置する小さな国です。日本の約3分の1の国土に、約420万の人々が暮らしています。
この土地が「エリトリア」と呼ばれるようになったのは、19世紀後半。当時この土地を支配していたイタリアが、ラテン語の「紅海=マーレ・エリトリウム」にちなんで、「エリトリア」と名付けました。
現在は9つの民族が暮らす多民族国家として、国づくりを進めています。 |
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| 19世紀後半〜第二次世界大戦――イタリア統治時代 |
有史以来、アビシニア、トルコ、エジプトなど、次々と支配者が変わったエリトリアを、イタリアが支配したのは1869年。イタリアの「進出」当初は交易のため、マッサワ港を使っているのみでしたが、他のヨーロッパ列強のアフリカ進出に伴い、イタリアも内地へと進みました。この動きに対し、エチオピアは1889年、マレブ川以北をイタリアに割譲。イタリアはエリトリア全土を支配します。
イタリア支配に動きがあるのは、1941年。第二次大戦が始まり、イギリス軍がイタリア支配下のエチオピアへ侵攻。この戦争によって、イギリス軍はエリトリアからもイタリア軍を一掃しました。
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| 第二次大戦の終結からエリトリア独立まで――エチオピアとの長い戦争 |
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| エチオピアとの戦争で使われた戦車。現在は平和を願う噴水となっている。 |
第二次大戦が終わり、ようやく独立への道を歩み始めたエリトリアでしたが、その道は隣国・エチオピアによってふさがれてしまいます。
「併合」を望むエチオピアは、言論統制や政党活動の制限など弾圧を強め、1962年エリトリアとエチオピアとの間で戦争が勃発。
エチオピアが旧ソ連を味方につけ、潤沢な資金援助の下で軍事力を増強させてゆくのに対し、「反帝国主義」を掲げるエリトリア人民解放戦線(EPLF)への支援はなく、エリトリアはまさに「孤立無援」の状態でこの独立戦争を戦いました。
長い戦争が終わったのは1993年。エリトリア独立を問う住民投票が行われ、99.8%という圧倒的多数の支持を得てエリトリアは独立。
有史以来、「支配」され続けたエリトリアにとって、まさに待ち望んだ独立でした。 |
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| 独立から現在――厳しい現実 |
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| 港町マッサワと首都アスマラをつなぐ蒸気機関車は独立と復興の象徴的存在。 |
長い戦争が戦争がもたらしたもの――それは破壊された国土と20万の犠牲者、そして75万もの難民でした。ようやく独立を勝ち取ったエリトリアですが、この難民たちの帰還問題をはじめ、戦争によって破壊された道路や鉄道などインフラの復旧、戦争の終結によって職を失った兵士の雇用問題など、課題は山積しています。
独立からまもなく15年を迎えようとしていますが、現在でもエリトリアは、「世界最貧国」のひとつに数えられる、という厳しい現実の中にあります。 |
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| ピースボートは国連の特別協議資格をもつNGOです。 |
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