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- 選手団からのメッセージ
- エリトリア教育省教育大臣 サレ氏からのメッセージ
- 支援者 橋本聖子氏からエリトリアへのメッセージ
- 費用サポートした方々からのメッセージ
- スタッフ土屋麻衣さんからのメッセージ
グルマイ・ハドク氏、ベレケット・ゼレ選手、
ヨナス・ザカレアス選手からのメッセージ
私たちを支援してくださったすべての日本の方々へ
皆さんが提供して下さった物質的・精神的なご支援に対して、
感謝の気持ちでいっぱいです。
皆さんとの関係がこれからも続いていきますように…。
グルマイ・ハドク
ベレケット・ゼレ
ヨナス・ザカレアス
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オスマン・サレ エリトリア国教育省教育大臣からのメッセージ
今年度、アトランタで開かれたオリンピック100周年記念大会のエリトリア参加にむけて、惜しみない努力と誠実な姿勢と関心を示していただいたことに、吉岡氏、ピースボート、そして日本の市民の全ての皆様に対し、エリトリア国教育省スポーツ委員会を代表して、また私個人から深い感謝の気持ちをお伝えします。
官僚的な混乱を主因とし、誠に残念なことにエリトリアのオリンピック参加はかないませんでしたが、我々は皆さんが参加を確固たるものとすべく繰り広げられたキャンペーン、その努力の全てを高く評価し、今日でも嬉しく思います。
加えて感謝したいのは、日本の報道機関を同伴してエリトリアへ訪問していただいたこと、それにより日本中、ひいては世界中に放送され、関心が高まったことです。協力していただいた日本の団体、個人、在日中の選手団に対する心暖かい受け入れにお礼を申し上げたい。
我々は本当に数え切れない成果を本件を通じて学び取り、それらはまたシドニーオリンピック参加を許可されるための国際的評価を築き上げるための礎となることでしょう。今回得た経験は今度直面するだろう障害を乗り越える手助けとなるのです。
最後にもう一度、我がエリトリアがオリンピックに参加する権利を獲得するために様々な物質的、精神的援助をくださった方々に深い感謝の気持ちをお伝えします。
エリトリア国教育省教育大臣 オスマン・サレ
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橋本聖子さんからのメッセージ
アトランタオリンピックは、第一回アテネ大会から100年目を迎え、
それを象徴するかのように世界187カ国・地域が参加するという
誠に平和の採点と呼ぶに相応しい大会となりました。
今回、貴国の選手団の競技出場はなりませんでしたが、
選手ならびに関係者の方々が示された並々ならぬ熱意は必ず実を結ぶでしょう。
今回の貴重な経験を生かされて是非、2000年シドニー大会の出場を
実現されますことをお祈りいたします。
衆議院議員 橋本聖子
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費用サポートされた方々からのメッセージ
ピースボート宛郵便振替用紙の「通信欄」に書き込まれたメッセージ

自転車競技選手は
子どもたちのヒーローだ |
■オリンピック出場が実現しますように。■サイクリングを愛しています。62才ですが頑張っています。仲間の出場を願い応援します。■思い切ってアトランタを駆けてください。GO
AHEAD! from A ROAD RACING FUN■他の競技ならいざ知らず、自転車競技とあれば一肌脱がずにはいられまい!Forze!
エリトリアロードチーム!!■こんな形でオリンピックに参加できて嬉しいです。■エリトリアを最も愛された、故伊藤正孝氏(朝日編集委員)の追悼のために。■もし出場を断られるのならそれはその程度のオリンピックということです。チャレンジしてください!吉報を待っております。■二人だけのオリンピック参加だそうですね。数に負けることなく頑張ってください。■大学時代に4年間私も自転車部で走っていました。自転車が軽いこと、道が平らで驚いていたのが、とても他人事とは思えません。がんばってください。■テレビで大臣が「スポーツで我々の存在を世界にアピールしたい」と言っておられましたが素晴らしいことですね。私も一応、スポーツマンのはしくれ。全く同感です。オリンピックに行けても、行けなくても、陰ながら応援しています。がんばれエリトリア!■みんなでオリンピックをみて美味しいビールを飲みましょう。■お金儲けに走るオリンピックの中で、参加することに意義を見出せるなんて…。応援しています。参加できることを祈っています。■どうぞオリンピックに出場できますように!/他多数
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スタッフ土屋麻衣さんからのメッセージ
エリトリアの選手たちが私の家にホームステイする。そんな予期せぬ出来事に遭遇して、東京の端っこにある東村山はニッポンとエリトリアの国際交流の最先端になった。早稲田大学自転車部の練習所に近いということもあって、私の家にホームステイしてもらうことになったのだ。
私の両親はこの東村山市内で「空と部三輪車」という小さな保育所をやっている。私のアパートは、その保育所の近所にあり、私の両親や保育所のお母さんたちが、選手団の食事や寝床の用意などを手いっぱいに引受けてくれた。
私が家に帰るころは毎日がお祭りみたいだった。選手が早大生たちとの練習を終えて帰ってくると、保育所の子供たち、その親たちが集まってくる。子供たちは初めて目にする「オリンピック選手団」と一緒に笑い転げ、エリトリアの手遊びや歌を教わっていた。彼らがアトランタへと発ってしまった後も、意味もわからずティグリニア語の歌をみんなで歌っている。
東京といっても田畑が広がるこの町で、エリトリア選手団はちょっとした話題になっていた。「IOCはなんていってきた?」「オリンピックには出られそう?」なんてふうに。スタッフの一人も「これこそがピースボートでいうところの国際交流なんじゃないのかなぁ」とつぶやいた。この「つながる」瞬間こそが、近所の人達にとっても、私の両親にとっても、私にとっても「オリンピックが自分のものになった」瞬間だった。私はそう確信するし、本来オリンピックとはそういうものだったはずだ。
土屋麻衣(ピースボートボランティアスタッフ)
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